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沿革

沿革

龍淵寺の歴史

龍淵寺の歴史
永禄年間(1558~70年頃)
浄土宗西山派の僧侶(洞空文翁上人)が樫原を訪れ草庵を建立。法話会や先祖供養を勤めていた。
天正七年(1579年)
物集女街道と旧山陰街道の辻にあった地蔵堂へ、戦に敗れ逃げ込んできた武士が洞空文翁上人と出会い出家得度。
天正十年(1582年)
樫原の人々と念仏講・地蔵講を作り寺院建立を嘆願、現在の地を明智光秀公より賜る。十月に龍淵寺(当時の名称は紫雲山地福院天正寺)建立。
正徳元年(1711年)
老朽化により再建。長岡京にある西山浄土宗総本山光明寺第三十八世作遵大和尚を迎え入仏落慶法要を盛大に厳修。
文政四年(1821年)
火災により焼失するもご本尊、過去帳は持ち出され無事であった。
文政六年(1823年)
龍淵寺再建。現在の本堂の姿に。
文久元年(1871年)
役所による所轄変更により知恩院の末寺となるが、浄土宗西山派に戻すよう役所へ所轄変更を願うが受理されず、年月が経ち明治新政府となる。
明治二十八年(1895年)
問題の解決が進まないことを当時の浄土宗西山深草派管長である音空上人が聞き、知恩院・光明寺・檀信徒の仲介に入ることに。その過程で長崎県の深草派末寺龍淵寺と地福院の寺名を交換し、当寺は浄土宗西山深草派末寺紫雲山龍淵寺となった。

総本山誓願寺について

総本山誓願寺について

浄土宗西山深草派(じょうどしゅう せいざんふかくさは)の総本山である誓願寺は飛鳥時代、
天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建されました。

もともとは奈良にありましたが、
鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転。
その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して
現在の三条寺町の地に移されました。

清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、
女人往生の寺として知られています。

平安時代後期、法然上人が興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になり、
現在は法然上人の高弟・西山上人善恵房證空の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山です。

「都名所図会(安永9年〔1780〕刊行)」によりますと、
表門は寺町六角、北門は三条通りに面し、
6500坪もの境内に塔頭寺院が18ヵ寺もあり、また三重塔もみられます。

その当時、三条~四条間の「寺町通り」には大小11ヵ寺の寺院があり、
盛り場を回るには、いちいち寺の門から出ては次の門をくぐるといったぐあいで、
つまり塀で仕切られた寺ごとに独立して盛り場が続いていました。

「誓願寺さんへ行こう」、「道場へ行こう」といえば、
遊びを意味するほどに寺町界隈は洛中一賑わっていた場所だそうです。

ところが、明治維新で千年余続いた都が東京へ移り、
幕末の戦乱「禁門の変」(蛤御門の変)で辺りは焼け野原となってしまいました。

こうした寂しい背景のもと、
復興への手がかりを与えようと明治5年(1872)、時の京都府参事・槇村正直は、
すでに芝居小屋、見せ物小屋の集っていた誓願寺境内と
四条寺町を上がった位置にあった金蓮寺境内(時宗・四条道場)に目をつけ上地(没収)し、
三条~四条間に新しい路を通し、一大歓楽街を作ろうとしました。

これが現在の「新京極通り」です。
このため誓願寺は、6500坪を有していた境内の内、
4800余坪の土地を没収されることになりました。

寺町六角に誓願寺の表門(四脚門)があり、
通称「たらたら坂」(新京極三条下る)と呼ばれる坂には、
明治30年頃まで誓願寺の黒門(北門)があったということは、 境内地を失った今では知る由もありません。

また誓願寺は京都の中心地に位置するために戦乱等の影響を受けやすく、
これまで10回もの火災に遭いましたが、
そのたびに多くの信者たちによって再建されました。

現在の鉄筋コンクリートの本堂は昭和39年(1964)に建てられたものです。

宗派図

宗派図
西山派(証空上人)
西山浄土宗
総本山
光明寺
(京都府長岡京市)
浄土宗西山禅林寺派
総本山
禅林寺
(京都市左京区)
浄土宗西山深草派
総本山
誓願寺
(京都市中京区)
浄土真宗(親鸞聖人)
浄土真宗本願寺派 西本願寺
真宗大谷派 東本願寺
真宗高田派 専修寺
真宗仏光寺派 仏光寺
真宗興正派 興正寺
真宗木辺派 錦織寺
鎮西派(弁長上人)
総本山 知恩院 (京都市東山区)
大本山 増上寺 (東京都港区)
金戒光明寺 (京都市左京区)
百萬遍知恩寺 (京都市左京区)
清浄華院 (京都市上京区)
善導寺 (福岡県久留米市)
光明寺 (神奈川県鎌倉市)
善光寺大本願 (長野県長野市)

歴代上人塔

総本山誓願寺について

これまで龍淵寺では歴代上人のお墓がありませんでしたが、
龍淵寺にご縁を結んでいただいた檀信徒の皆様や縁者様のおかげで、
歴代上人塔を建立させていただくことができました。

本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

このお墓の維持管理も人生の中の新たな大きな役目と考え、
今後も精進してまいります。